中国大陸でのテレサ |
昨年の9月(北京・上海)・10月(上海)と中華人民共和国へ行ってきました。
いずれも観光目的の短期の旅。特別に意識はしていなかったのですが、街のところどころでテレサに遭遇することができました。
書店やデパート、空港ではテレサの大陸版のCDやVCDをたくさん見かけましたし、街角から歌声が流れてきたこともありました。テレサ自身は残念ながら中国を訪れることはついにかないませんでした。それにもかかわらず中国の人たちの間では今なお根強い人気があるのですね。旅先で出会ったテレサについて、ほんの僅かですがお伝えしたいと思います。
◆北京で出会ったテレサ | |
飛行機はJALを利用。機内放送のプログラムにテレサの歌はありませんでした。台北行き(日本アジア航空)の時は必ず1曲入っていたのでついチェックをしてしまったのでした。 北京に着いたその晩にさっそく王府井へ繰り出し1件のCD屋さんを見つけました。目的は周センのVCDだったのですが、テレサのCDやVCDが目に飛び込んできました。香港・台湾製のものは見当たらずほとんどが大陸版のよう。試しにVCDを2枚ほど買って来ましたが、内容は正規版の焼き直しで画像も良くありませんでした。 2日目は、万里の長城・龍慶峡と遠出の日。ガイドさんは大学を出て3年目の若い女性。長城の麓では明星の話に花が咲きました。テレサの話題も出て、カラオケで「時の流れに身をまかせ」を歌っているということでした。「つぐない」「愛人」も知っているとのこと。 中国語の歌では「甜蜜蜜」などが人気だそうです。 龍慶峡は小三峡と呼ばれる風光明媚な所。日本人があまり行かない郊外の観光地ですが、その近くにあるCD屋さんのスピーカーから 「獨上西樓」が聞こえてきたのには感激してしまいました。 この日は交通規制にひっかかり夜のショッピング(笑)はなし。 最後の夜はデパート、ショッピングセンターの中まで王府井界隈をくまなく見て回りました。決してテレサのものを探していた訳ではないのですが、 どこのCD店にもテレサのCD・VCDはありました。外文書店の中では、ちょうどテレサのカラオケVCDが流れていて、その画像に見入っている人たちもいました。 大陸版のCD・VCDの価格は香港製のものと比べかなり安いのですが、中には、本人が出ていない、歌っていないなど怪しげなものもたくさん出回っているので注意が必要です。 ジャケット、歌詞カード等の誤植(テレサテソ等)も多く、日頃はテレサの大陸版CDには興味のない私も、あまりの酷さに思わず買ってしまいました。(~_~;; |
↑龍慶峡付近にあるCDショップ テレサの歌が流れていた。 ↑王府井にある高級デパート・王 府井世都百貨内のCD売り場。 |
◆上海で出会ったテレサ |
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9月は上海では1泊だけの滞在だったため、買い物の時間はありませんでした。夕食後に行った和平飯店の上海ジャズのお店では、「月亮代表我的心」をリクエストしました。曲目リストには載っていなかったのですが、しっかりと演奏 してもらえたので嬉しかったです。「月亮代表我的心」はテレサのオリジナルと言う訳ではありませんが、大陸でこの歌がここまでスタンダード化しているというのは、テレサの貢献度が高いのではないでしょうか。 上海空港のお土産店にもポリドールの簡体字版やボックス入りのものなどが目立つところに置いてありました。(日本人向けか?) 10月に行った駱駝さん主催のオールド上海ツアーでは、CDショップや書店へも行くことができました。やはりテレサのものはどのお店でも目にすることができましたが、その時買ったVCDは全滅、歌も画像も別人でした。CDでは、「20世紀中華歌壇名人百集珍蔵版」というシリーズで周センら歴代の歌手や大陸の歌手と並んでテレサのものも出版されていました。上海書城では「香草美人 ケ麗君」という書籍を発見。また、レストランのショータイムではテレサの歌が歌われていました。 |
◆ 中 国 土 産
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↑ 北京の高級デパートで見つけた化粧箱入り4枚組のCD。もちろん海賊版。 「テしサテソ」「ツソーズ」など日本語が怪しすぎる。 特に1枚目の「日本語名唱選」(紫色)は、タイトルも歌詞カードもすごい! 監修・解説/中村とうようとなっているが、解説などとこにも載っていない。 |
上海空港にて購入のボックス入り5枚組 → 1〜5、6〜10がそれぞれ別のボックスに なっている。Polydorの大陸版? |
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← 「20世紀中華歌壇名人百集珍蔵版」 1998年 中国唱片公司出版 16曲入 |
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「香草美人 ケ麗君」(竇應泰 著)→ 1998年12月 北方文藝出版社 生い立ちと、あとはゴシップネタが多そう。 |
◆リリーの突撃インタビュー
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(豆知識)
◆テレサと中国について
テレサ・テンのルーツは中国大陸。お父さんは河北省、お母さんは山東省の出身ですが、国民党政府とともに台湾へ移住。外省人として育ったテレサは幼い頃から大陸への望郷の念を抱いていたようです。
1979年頃から「何日君再来」をはじめとするテレサの歌が中国本土で大流行。これは改革開放政策によって香港や台湾の歌謡曲が大量に流れこんだためで、中でもテレサは「最受歓迎的歌星」としてもてはやされました。この頃からテレサは、「いつか中国本土へ行って中国のファンの前で歌いたい」という夢を持つようになったといわれています。中国に民主化の兆しが見えはじめ、ようやくそのチャンスが廻ってきたかと思われていた矢先、1989年に天安門事件が勃発。その後ついに彼女の夢がかなえられることはありませんでしたが、王菲をはじめとする現在活躍中の大陸系若手シンガーたちに与えた影響は大きく、ポップスの啓蒙者として今なお慕われています。
← 1999年4月に発売されたトリビュート・アルバム「告別的揺滾」 黒豹、唐朝ら大陸のロックバンドがテレサの歌を歌っている。 |
1979年 | 中国大陸でテレサの歌が流行しはじめる。 |
1980年 | 「何日君再来」が大流行。 大陸でのケ麗君ブームが台湾国民党政府の反共宣伝に使われるようになる。 金門島からカセットテープをつけた風船が飛ばされる。 9月、テレサ自ら金門島に赴きスピーカーで大陸に向けて呼びかけをする。 |
1982年 | 人民解放軍少佐が台湾に亡命。「まずケ麗君に会いたい」と発言。 |
1983年 | ケ小平が提唱する「精神汚染一掃キャンペーン」でテレサの歌も「黄色歌曲」として槍玉にあがる。 「白天聴老ケ、晩上聴小ケ」という言葉ができる。 |
1985年 | 「中国青年報」記者が突然テレサに電話でインタビュー。 雑誌「追求」に人民日報記者によるケ麗君賞賛の記事が掲載される。 |
1986年 | 胡燿邦総書記によってテレサが名誉回復される。 「ケ麗君自選演唱歌曲」が出版される。 「ケ麗君の故郷を行く(家在黄河古道辺)」というラジオ番組が放送される。 |
1989年 | 6月、天安門事件が起る。 |
1995年 | 5月、「人民日報海外版」「北京青年報」がテレサの訃報を異例の速さで掲載。 |
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