祝 日本デビュー40周年! |
◆テレサの日本デビュー
今から40年前の1974年3月1日、テレサ・テンは日本ポリドールから「今夜かしら明日かしら」でデビューしました。
レコードの発売に先駆けて2月15日に香港より来日、発表記者会見が行なわれました。キャンペーンのキャッチフレーズは「香港の赤いバラ」。当時アジアではすでに大スターだったテレサでしたが、「日本で歌いたい!」という彼女の強い意志もあって日本デビューが実現したそうです。プロダクションは尊敬する森進一氏と同じ渡辺プロ、事務所も森氏と同じサンズに所属。
この年は72年に来日してすでに人気スターとなっていたアグネス・チャンに続けとばかりに、中国系の若手女性歌手が多くデビューしており、そのためかテレサも「アグネス・チャンに追いつき追いこせ」などのタイトルで雑誌に紹介されていました。
「今夜かしら明日かしら」(山上路夫作詞/筒美京平作曲/高田弘編曲)はアイドル路線のポップス調の曲でしたが、当初の期待に反しヒットチャート75位に終わりました。
来日当初のテレサの一番の悩みは言葉だったと言われています。インタビューをされるにも通訳が必要、食事に行ってメニューを見てもわからない、仕事へ行っても周囲の人たちと楽しく話すこともできませんでした。そんな中、日本語で歌を歌い仕事をするには大変な努力が必要だったことでしょう。
7月1日には2曲目の「空港」(山上路夫作詞/猪俣公章作曲/森岡賢一郎編曲)が発売になりました。今度はテレサの歌唱力を生かした演歌風の歌に切り替えられ、衣装も大人っぽさを出すためミニからミディーに変りました。この「空港」は着実に売り上げを伸ばし、麻生よう子(最優秀)、浅野ゆう子、城みちる、西川峰子、荒川務らとともに見事第16回レコード大賞新人賞に輝きました。
そして、この後日本でのテレサは演歌路線を歩むことになったのです。
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【主なスケジュール等】 | |
1973年11月 | 日本ポリドールレコードと契約 レコーディングのため初来日 |
1974年1月 | 来日 |
2月15日 | デビュー曲発表記者会見のため来日 |
3月 1日 | シングル「今夜かしら明日かしら」発売 |
4月〜6月 | 「森進一ショー」(4/26〜5/3)に出演 ホテル暮らしから原宿のマンションに移る |
7月1日 | シングル「空港」発売 |
8月 | (14日)日本を離れシンガポールに滞在 (17日)ビザの書きかえのため台湾へ帰国 台湾での「空港」のレコーディングが決まる |
9月 | 再び日本に戻る |
10月 | 第3回銀座音楽祭熱演賞受賞 第7回新宿音楽祭審査員特別奨励賞受賞 (21日)シングル「雪化粧」発売 |
11月 | (19日)第16回日本レコード大賞新人賞受賞 (21日)ファーストアルバム「空港/雪化粧」発売 |
12月 | お正月を迎えるため日本に滞在 |
【取材に対するコメント】 (すべて本当にテレサがそう言ったかどうかは不明です。あまり真に受けないで!) |
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Q.セールスポイント | A.おでこと脚線美 |
Q.好きな日本の食べ物 | A.シャケと茶碗蒸 シャブシャブ |
Q.日本の印象 | A.香港はレディ・ファーストだけど日本では男がツヨイ |
Q.日本にいつまでいる? | A.将来の出来ばえによるができれば日本でずっと歌いつづけたい |
Q.森進一 | A.声がとてもセクシー 香港でもすごい人気 |
Q.アグネス・チャン | A.ファン層がちがうし歌の傾向も別でしょ? |
Q.ホームシック | A.故郷は恋しいが母が一緒だしがんばる |
Q.好きなタイプ | A.あまりやせている人はだめ |
Q.映画の話題 | A.ブルース・リーに会ったことがある |
Q.原宿の新居 | A.シンプルなインテリアが好き だから部屋はアメリカ風 |
Q.新人賞受賞 | A.あんなに感激するなんて思っても見なかった 自然に涙がでてきちゃって... |
Q.今後の抱負 | A.1日も早く日本語を覚えて日本のみんなとたくさん話しをしたい 「歌を、もっとうまくなりたいと思っています。」 |
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