世界各地に残されたテレサの軌跡をたどってみましょう!


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台 湾

 


1953年 台湾省雲林県に生まれる。6歳で歌を習い始め、7歳のときには「りんご追分」などを歌う。

1960年 蘆州小学校2年のときに初舞台を踏む。

1963年 10歳の時に中華電台(ラジオ)主催の歌唱コンテストで「訪英台」を歌い優勝したのを皮切りに各地のコンテストで優勝。評判が広まる。

1964年 11歳の時に小学校の北京語スピーチコンテストで優勝。

1966年 金陵女中学1年の時に金馬奨唱片公司主催の歌唱コンテストで「採紅菱」を歌い優勝。ラジオ番組にも出演する。

1966年 台湾テレビの専属歌手に、続いて中国テレビの専属歌手となりレギュラー番組を持つ。中学を2年で中退。

1967年 14歳で台北の一流クラブ「巴黎」のステージで70日間ロングランの記録を樹立。同年9月、宇宙レコードよりデビュー!「ケ麗君之歌第一集」が発売される。

1969年 初のオリジナル曲「晶晶」(TVドラマ主題歌)が録音される。

1970年 16歳で第一回主演映画「謝謝総経理」撮影。その後、国外での活動を開始。

1971年 麗風(ライフ)レコードに移籍。

1974年 「小城故事」「甜蜜蜜」などが台湾、東南アジアで大ヒット。

1977年 台湾テレビで「ケ麗君専集」という番組がスタート。24歳。

1980年 79年の偽造パスポート事件以来1年ぶりに帰国。台北国父記念会館でリサイタルを開き、入場券の総売上を「自強愛国基金」に寄付する。台湾でもっとも優秀な女性歌手に送られる金鐘賞を受賞。27歳。

1981年 軍の慰問公演や兵士向けのテレビ番組「君在前哨」の制作に参加する。

1982年 チャリティーコンサートを開催。「愛国芸人」という新聞社から特別な表彰を受ける。

1984年 1月、台北中華体育館にてデビュー15周年記念コンサート。(後に「10億個掌聲 ケ麗君・演唱会全集」としてビデオ化)。国民党政府から第10回「十大傑出女青年」の褒賞を受ける。

1985年 「反盗録・反冒」チャリティー・コンサートで、張菲と司会を勤める。

1986年 春節特別番組「與君同樂」放送。

1988年 中華体育館で夜の軍の慰問コンサート「光輝な八二三」に出演。

1990年 37歳の時に父親が逝去。(すでに、国内での活動は、年数回のテレビ 出演やチャリテイーコンサートに限り行われるようになっていた。)

1993年 40歳。兵士慰問の中華テレビ番組「永遠的情人」に出演。

1994年 陸軍士官学校の創立70周年記念行事「永遠的黄埔」に参加。(1991年から94年まで毎年、軍隊慰問活動のため台湾に帰国。)

1995年 5月8日タイのチェンマイで急死。享年42歳。その週のうちに5本の追悼番組が放映され、どれも30%以上の視聴率を上げる。5月28日台北市立第一殯儀館にて葬儀がとりおこなわれる。遺体は台北郊外の金寶山墓園に埋葬される。(後に記念公園となる。)国防省から「陸海軍褒状」、国民党政府から「華夏一等褒章」(国民栄誉賞にあたる)、僑務委員会から「華光一等奨章」、総統から「褒揚令褒章」を授与される。遺稿となった詞「星願」に曲がつけられる。

1996年 一周忌。台北国際会議センターで「ケ麗君懷念演唱會」が開かれる。(財)ケ麗君文教基金会、タイ北部の難民村への援助活動を開始する。

1997年 5月8日金宝山にて追悼会がおこなわれる。中華テレビ「君在我心中」(追悼番組)放映される。「星願」全国創作歌謡歌唱コンクール開催。

1998年 5月8日金宝山にて3回忌の法要がおこなわれる。第2回「星願」全国創作歌謡歌唱コンクール開催。

1999年 5月8日金宝山にて追悼会。8月、第3回「星願」全国創作歌謡歌唱コンクール開催。
12月、蘆洲にて文物展開催。

2000年 5月1日〜25日、台北市fnac環亞店にて記念商品展開催。
5月8日、金宝山にて追悼会。
7月、第4回「星願」全国創作歌謡歌唱コンクール開催。

2001年 5月8日金宝山にて追悼会。
この他、ミュージカル「小城故事」オーディション、「麗君寶寶」漫画デザインコンテスト、CD「忘不了」発売、コンサートDVD発売、第4回「星願」全国創作歌謡歌唱コンクール開催等。
ケ麗君文教基金会がHPを再開。

2002年 5月8日、金宝山にて追悼会。
7月、10枚組CD「ケ麗君音樂手札」発売。その付録として未発表曲「問世間情是何物」が発表される。
12月、DVD「1982伊利沙伯體育館演唱會 」発売。

2003年

1月、DVD「ケ麗君的1978【香港編】 Teresa Teng in 1978」発売。
3月22〜23、台北市立社会教育館で永遠的ケ麗君演唱会開催。
5月8日、新型肺炎(SARS)の影響下、家族や関係者、地元台湾のファンらにより法要が行なわれる。 DVD「ケ麗君香港利舞台演唱會」発売。
DVD「ケ麗君的1982」発売。
台北郵政局より記念切手シート発売。
10月28日、CD+VCD「酒紅色的記憶--10年日曲精選」発売。

2004年

2月1日〜29日、台北捷運東區地下街に於いて「永遠的情人」文物展開催。
2月7日〜12日、台北市立社會教育館にてミュージカル「但願人長久」上演。
5月3日、DVD「2004我只在乎[イ尓]魅力精選」発売。
5月8日、金寶山にて没後9年の法要が行なわれる。
9月、雲林縣にて文物展開催。
12月18日、母親・趙素桂逝去。

2005年 1月29日、台北・国賓大飯店にて「ケ麗君小姐生日餐会」が盛大に開かれる。
3月〜7月、記念文物展(全台湾巡回展)開催。
5月6日、逝世十周年紀念聲影存集「天國的情人」発売 。
5月8日、台北にて没後10年記念イベントが盛大に開かれる。

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  香 港

1970年 17歳で初めて香港の舞台に立ち注目される。
歴代最年少の「白花油慈善皇后」(白花油チャリティープリンセス)に選ばれる。
映画「歌迷小姐」に主演。

1971年 楽風(ライフ)レコードと契約。

1972年 「白花油慈善皇后」、香港10大スターに選ばれるなど活躍。

1973年 香港でリリースした「千言萬語」「海韻」などがアジア市場で大ヒット。

1975年 香港ポリグラムレコードと契約。ファーストアルバム「島国情歌」発売。

1976年 3月27日利舞台にて香港初のリサイタルを開く(〜28日)。23歳。

1977年 3月「第一回金唱片奨」頒奨曲禮受賞(島国之情歌第2集)。
7月8〜10日利舞台にて2回目のリサイタルを開く(〜10日)。

1978年 9月22〜24日利舞台にてリサイタルを開催。

1980年 10月10〜14日利舞台にてリサイタルを開催。
初の広東語アルバム「勢不両立」をリリース、たちどころに完売。

1981年 28歳。4月18日〜25日利舞台のステージで一週間9回のソロ・コンサート記録樹立。5枚のゴールドディスク獲得。

1982年 1月8〜11日クイーン・エリザベス・スタジアムにおいて全6回のコンサートを開催。大盛況となる。
(参考CD:「ケ麗君演唱会」「永遠の歌声VOL.2テレサ・テン中国語曲のすべて」)

1983年 30歳。名盤「淡淡幽情」発売、アルバム・オヴ・ザ・イヤー(香港のレコード大賞にあたる)を受賞。2枚目の広東語アルバム「漫歩人生路」をリリース。
12月29日よりデビュー15周年記念コンサートツアーの封切りとして香港コロシアムで6日間の連続コンサートを開催。観客動員数(10万人)、費用総額、チケット完売のスピードなど香港の記録をすべて更新。

1986年 スタンレーに別荘(紫の館)を購入。拠点を完全に香港に移していた。

1987年 34歳。「我只在乎イ尓」(「時の流れに身をまかせ」の中国語盤)が、香港はじめアジア各地で大ヒット。

1989年 ハッピー・ヴァレー競馬場で行われた天安門民主化支援8時間マラソンコンサートに参加。「家在山的那一辺」を歌う。
天安門事件勃発。「今は香港を離れられない」と予定していた来日キャンペーンを中止。

1991年 38歳。香港で死亡説が流れる。
香港亞視のチャリティー番組「愛心獻華東」に参加。

1992年 「難忘的Teresa Teng」を香港でリリース。すでに活動は年数回に限られていた。

1994年 香港亞視「台慶」に出演。これが最後のTV出演となる。

1995年 逝去後香港音楽業界から「黄金の針賞」を授与される。

1998年 11/14〜25テレサの人生をもとに作られたミュージカル「THE LEGEND 漫歩人生路」が上演される。

1999年 1月29日スタンレーの別荘がファンのために公開される。
5月6・11日、ツェンワン大会堂・香港大会堂にて「何日君再来演唱会」。16日、香港文化中心にて懐念ケ麗君金曲演唱会。23日、ツェンワン大会堂にて香港のファンクラブ主催の追悼コンサート開催。

2000年 5月21日より一年間の予定でスタンレーの香港故居が一般公開される。
5月28日、香港文化中心にて「ケ麗君逝世五週年紀念音楽會」開催。
6月2・3・4「懷念ケ麗君逝世五周年音樂會」開催。
11月 、stareastnetがオフィシャル・ページを開設。

2001年 4月、未収録曲収録のCD「忘不了」発売。
4月30日〜5月2日、香港文化中心にて追悼展開催。5月13・14日、沙田大會堂・香港文化中心にて「懷念ケ麗君金曲演唱會」開催。
8月26日、香港故居閉館。

2002年 5月3日、マダム・タッソー蝋人形館にてテレサの蝋人形展示開始。
5月18日〜20日、香港文化中心大堂にて「懷念ケ麗君圖片展覧會」開催。
5月27日、香港文化中心音樂廳 にて「忘不了ケ麗君紀念音楽會」開催。
6月15日・ 16日、香港文化中心音樂廳にて「懐念ケ麗君金曲演唱會」開催。
7月25日〜8月25日、 香港演藝學院にてミュージカル「但願人長久」上演。

2003年 TNT Productionがホームページを開設。
5月8日、香港故居でファンが追悼会を開催。
8月10日、香港文化中心でテレサを記念する慈善コンサート開催。

2004年 1月、スタンレーの別荘の売却決定。

2005年 1月16日〜7月末、マダムタッソー蝋人形館で「忘不了ケ麗君」文物展開催。
6月9日〜11日、記念イベント(ミュージカル&ライブ)「感受ケ麗君」 開催。

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日 本

1973年 日本ポリドールレコードと契約。初来日。20歳。

1974年 3月1日「今夜かしら明日かしら」(ヒットチャート75位)で日本デビュー。
7月1日に発売した2作目の「空港」が大ヒット(オリコンチャート29位、売り上げ70万枚以上)し、レコード大賞新人賞他多くの新人賞を受賞。
10月21日、「雪化粧」発売。アルバム「空港/雪化粧」発売。

1975年 3月21日「女の生きがい」、7月1日「夜の乗客」、10月21日「アカシアの夢」、11月21日「夜のフェリ−ボート」、アルバム「夜の乗客/女の生きがい」「アカシアの夢」発売。

1976年 アルバム「ベスト・ヒット・アルバム」発売。
新宿・ルイードにてライヴ・コンサート

1977年 24歳。2月1日「ふるさとはどこですか」、アルバム「ふるさとはどこですか」発売。
4月22日、新橋ヤクルトホールにてファーストコンサートを開く。(参考CD:「歌声は想い出にふちどられ」)
8月1日「あなたと生きる」、アルバム「ファーストコンサート」「あなたと生きる」発売。

1978年 5月10日「東京夜景」、アルバム「東京夜景」「心にのこる夜の唄」発売。

1979年 26歳。2月日本入国の際、偽造パスポートを使い国外退去処分。一時日本での歌手活動を休止する。アルバム「中国語/華麗なる熱唱」発売。

1980年 7月21日「イ尓(あなた)」、アルバム「演歌のメッセージ」「イ尓(あなた)/まごごろ」発売。

1981年 2月28日「ジェルソミーナの歩いた道」、同名のアルバム発売。日本ポリドールと契約切れとなる。

1983年 30歳。6月トーラスレコードへ移籍し、日本国内での音楽活動を再開。
10月21日「ふたたびの」、アルバム「旅人オリジナル名盤シリーズ1」発売。

1984年 5年ぶりの来日。1月21日再デビュー後2枚目となるシングル「つぐない」が有線放送で1位を獲得。大ヒットとなる。アルバム「つぐない」「償還【中国語盤】」発売。同年12月、日本有線大賞、全日本有線放送大賞ともにグランプリ受賞!2〜3ヵ月に1度のペースで来日。

1985年 2月21日に発売された「愛人」も大ヒット。14周連続有線チャート第1位を獲得。アルバム「愛人 オリジナル名盤シリーズ2」発売。
12月15日には、日本で唯一の本格的なコンサートとなったNHKホールでのコンサートを開催。日本有線大賞、全日本有線放送大賞ともに2年連続でグランプリを受賞!NHK紅白歌合戦初出場、「愛人」を歌う。

1986年 33歳。2月21日「時の流れに身をまかせ」を発売。200万枚近い売り上げを達成し、日本における彼女の最大のヒットとなる。
11月21日「スキャンダル」、「コンサートライブ」「時の流れに身をまかせオリジナル名盤シリーズ3」「酒醉的探戈【中国語盤】」発売。
日本有線大賞、全日本有線放送大賞ともに史上初の三連覇という快挙を成し遂げ、レコード大賞金賞受賞。NHK紅白歌合戦出場。「時の流れに身をまかせ」を歌う。

1987年 6月2日「別れの予感」、アルバム「別れの予感」発売。
日本有線大賞有線音楽賞受賞。

1988年 1月25日「恋人たちの神話」発売。全日本有線上半期グランプリ受賞(「別れの予感」)。

1989年 3月8日「香港 Hong Kong」、7月26日「香港/悲しい自由」ミックスバージョン」、アルバム「浪漫主義」発売。10カ月ぶりの来日。
11月24日にTBS「金曜スペシャルテレサ・テン15周年記念スペシャル」が放送される。(参考VD:テレサ・テンメモリーズ星願)

1990年 3月28日「涙の条件」発売。「‘90ベストコレクション−涙の条件−」が第5回日本ゴールドディスク大賞アルバム賞(歌謡曲演歌部門)を受賞。

1991年 2月27日「悲しみと踊らせて」、アルバム「‘91悲しみと踊らせて」発売。
「淡淡幽情」が日本でも発売になる。(新星堂オーマガトキ・レーベル)
7月に1年9カ月ぶりの来日。5年ぶり3回目のNHK紅白歌合戦出場、「時の流れに身をまかせ」を歌う。

1992年 5月27日「愛の陽差し〜アモーレ・ミオ〜」、11月18日「夕凪」、アルバム「莫忘今宵【中国語盤】」、6枚組「精選全集」発売。来日、8月24日広島平和音楽祭出演。

1993年 40歳。4月28日「何日君再来」(金鳥蚊取り線香CM)、5月12日「あなたと共に生きてゆく」(メナードイメージソング)、アルバム「ケ麗君中国語名唱選シリーズ(1)〜(5)」発売。日本ポリドールからもアルバム「空港」「情人的關懐【中国語盤】」発売。
11月に1年4カ月ぶりの来日。

1994年 2月23日「別れの予感(CHINESE TITLE「襟曲」)」、11月9日「夜来香」(最後のレコーディング)、アルバム「夜来香【中国語盤】」、「ケ麗君中国語名唱選シリーズ(6)」、日本ポリドールからアルバム「テレサ・テン全曲集」発売。NHK出演のため来日。

1995年 5月8日の訃報が9日晩頃から日本全国に報じられる。10日各チャンネルのワイドショーで「テレサ・テン急死」のニュースが大々的に取り上げられる。その後、数本の追悼番組放映。
5月28日の台北での葬儀には日本からも多数参列する。
6月7日発売の追悼アルバム「スーパーセレクション(2枚組)」が大ヒット。第10回日本ゴールドディスク大賞アルバム部門賞を受賞。
「淡淡幽情」「ベスト・セレクション星願」「The History Of Teresa Teng−120 Songs(10枚組)」「ケ麗君中国語名唱選シリーズ(7)(8)」「何日君再来【中国語盤】」(以上トーラスレコード)、「歌声は想い出にふちどられ」「永遠の歌声Vol.1 オリジナル曲のすべて(3枚組)」「永遠の歌声Vol.2中国語曲のすべて(3枚組)」「永遠の歌声Vol.3 日本の心を歌う(2枚組)」(以上日本ポリドール・レコード)、「テレサ・テン/アーリー・デイズ」「テレサ・テン/アーリー・デイズ VOL2」(オーディブック)、その他LD・VD・書籍等発売される。

1996年 5月9日から14日横浜・高島屋にてテレサ・テン(ケ麗君)没後一周年追悼展が開かれる。続いて、仙台・藤崎、ラフォーレ原宿・小倉、名古屋三越を巡回。
5月11日都内北沢ギャラリーにてレクチャー「テレサ・テンをしのんで」開催(中村とうよう氏)。
CD「演花集」「Recollection〜追憶〜」「ゴー!ゴー!テレサ」「シングルズ」「憧れの旋律」(トーラス)、「ベスト&ベスト」(ポリドール)など発売。

1997年 4月神戸にて「何日君再来〜テレサ・テン追悼展」。この他熊谷で追悼展開催。
トーラスよりCD「モア ゴー!ゴー!テレサ」「3回忌メモリアル at ルイード」「全曲集'98〜夢立ちぬ」ほか発売。

1998年 ニュートーラスよりCD「甜蜜蜜 スクリーン・テーマ集」「Teresa Teng Top Ten」「コンサート・ライブ」、ビデオ「演歌の花道」発売。

1999年 ポリドールよりCD「カバー・ベスト・コレクション」「スーパー・ベスト・コレクション」「TREASURE COLLECTION 」「トリビュート 〜Re-make,Re-model〜」「全曲集 〜つぐない〜」「ラスト・コンサート/完全版」発売。

2000年 ユニバーサルミュージックよりCD「ベスト全曲集〜21世紀へ伝えたい名曲たち〜 」「So Long ぱーふぇくとコレクション」、映像「メモリーズ 星願(シン ユィエン) 」「コンサート・ライヴ 」発売。

2001年 7月、ユニバーサルミュージックよりCD「忘不了」日本版「忘れられない 〜最後のレコーディング〜 」発売.。CD「全曲集」(ユニバーサル)、DVD「デビュー15周年香港コンサート 」(日本コロムビア)発売。
フォーリンTVがオフィシャルホームページを開設。

2002年 3月、ユニバーサル ポリドール/ユニバーサルミュージックよりDVD「テレサ・テン フォーエヴァー」発売。
4月、ユーキャン エンタテインメントより10枚組CD「歌姫〜特選テレサ・テンの世界〜」発売。
5月3日、横浜で平野久美子さんの一日講座「テレサ・テンが見た夢」開講。
6月、ユニバーサルミュージックよりCD「全曲集」発売。
7月、10枚組CD「テレサ・テン音楽日記」発売。
12月、広島でフィルムコンサート開催。以降国内巡回が始まる。

2003年 5月7日、ユニバーサルミュージックよりCD「全曲集 -生誕50周年記念-」発売。
9月11日、東京・文京シビックホールにて「生誕50周年フィルムコンサート」開催、本格的に全国展開が始まる。CD「会場特別版 〜今でも・・・」発売。
11月、エイベックス・ディストリビューションより「50thアニバーサリーボックス〜Endless Voyage〜」発売。

2004年 6月23日、日本デビュー30周年記念ボックスセット「星☆伝説」発売。
12月22日、DVD「テレサ・テン メモリアルTV 〜今、甦るテレサ・テン〜」発売。

2005年 4月22日、「テレサ・テン 歌姫伝説」(DVD+CD+Book)発売。
11月23日〜29日、東京上野・松坂屋にて「テレサ・テンよ永遠に!永遠的ケ麗君博品展」開催。

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東南アジア

1969年 16歳。シンガポールの国立劇場で開かれたチャリティーコンサートに招かれ、はじめて海外のステージに立つ。

1971年 東南アジアのコンサートツアーを本格的に開始。マレーシア、ヴェトナム、タイ、フィリピン、パキスタンにまで足をのばすようになる。

1972年 19歳。5月シンガポール公演。その他クアラルンプール公演など、東南アジア各地で活躍。

1973年 「千言萬語」「海韻」などがアジア市場で大ヒット。

1976年 23歳。「小城故事」「甜蜜蜜」などが大ヒット。

1981年 28歳。東南アジアコンサートツアー。(シンガポール:4月28・29日)。

1982年 東南アジア一帯で連続ヒットを記録。

1984年 31歳。デビュー15周年記念コンサートでシンガポール、マレーシアなどを巡業。この頃、シンガポールに拠点を置く。(家も購入)。アジア有数の財閥の御曹司郭孔丞との結婚が取りざたされる。(‘82年頃から)。

1985年 シンガポール滞在中、「北京青年報」から突然電話でインタビューを受ける。

1986年 「つぐない(償還)」「愛人」など日本のヒット曲の中国語盤がアジア各地でヒット。

1987年 34歳。「我只在乎イ尓」(「時の流れに身をまかせ」の中国語盤)がアジア各地で大ヒット。


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アメリカ

1979年 26歳の時に渡米。ロサンゼルスのウィルシャー・ブルバードにある高級アパートで暮らす。
UCLAの聴講生として、生物、数学、歴史などを学ぶかたわらヴォイストレーニングに励む。
4月6日LAのSANTA MONICA CIVIC AUDITORIUM、10日サンフランシスコ・MASONIC HALLにてコンサート開催。

1980年 7月20日ニューヨーク・リンカーンセンター、26日サンフランシスコ・MASONIC HALL、27日LA・ミュージックセンターでコンサートを開催。成功をおさめる。この頃ジャッキー・チェンと知り合う。
日本での活動は停止していたが、レコーディングはLAで行われていた。

1983年 30歳。2月19・20日ラスベガスのシーザース・パレスにおいてデビュー15周年記念ワン・マンショーを開催。「チャイニーズ・スター」として大々的に紹介された。


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カナダ

1979年 4月13日バンクーバー・ORPHEUM THEATER、16日トロント・O'KEEFE CENTERにてコンサートを開催。


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中 国
 

※テレサ・テンのルーツ。父(河北省)と母(山東省)の故郷。
(彼女はお母さんに故郷の山東省に家を建ててあげるのが夢だった。)

1980年 27歳。中国大陸で「何日君再来」が大ブームとなる。

1983年 30歳。精神汚染一掃キャンペーンの対象とされる。「中国の昼間は老ケ(ケ小平)が支配し、夜は小ケ(ケ麗君)が支配する」と言われた。

1985年 シンガポール滞在中、「北京青年報」から突然電話でインタビューを受け、記事になる。雑誌「追求」に人民日報記者によるケ麗君賞賛の記事が掲載される。

1986年 胡耀邦総書記がケ麗君の名誉回復を発表。「ケ麗君自選演唱歌曲」が出版され、ラジオ番組「ケ麗君の故郷を行く(家在黄河古道辺)」が放送される。

2003年 3月8日、武漢・武漢ホールにてケ麗君全国巡迴演唱会開催。
4月、上海・福寿園にて約1ヶ月間テレサの文物展が開かれる。衣冠塚と銅像が造られる。

2004年 3月15日、杭州市にケ麗君文教基金会経営のテレサをテーマにしたレストラン「[竹/均]園小鎮」が誕生。

2005年 5月6日、上海でテレサの10周年追悼イベントが開かれる。
10月、広西チワン族自治区桂林市・愚自楽園内にテレサの記念ミュージアム完成。

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イギリス
 

1984年 ロンドン(オックスフォード?)に短期留学、勉学のかたわらロイヤル・スコットランド・オペラハウスの教師からボイストレーニングをうけ研鑽を積む。31歳。

1985年 EMIのアビーロードスタジオでアルバム「愛人」をレコーディング。


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フランス

1989年 36歳。11月、パリへ移住。

1990年 シャンゼリゼ通りの近く(八区)にマンションを購入。ステファン・プエルと知り合う。シングル「涙の条件」をパリにてレコーディング。

1992年 39歳。トロカデロ広場における天安門事件3周年記念集会に参加。「血染的風采」を歌う。


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タ イ

1994年 この頃から静養のためチェンマイを訪れるようになる。

1995年 4月2日からチェンマイ市内のメピンホテルに滞在。5月8日、気管支喘息の発作による呼吸困難のため急死。42歳。


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その他の国

グレナダ、北朝鮮で記念切手シートが発売される。
韓国でCD(ハングル語解説)が発売されている。
インドネシア語のCDも発売されている。

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※年代は文献により多少異なる場合があります。



 (参考文献)

・平野久美子著「テレサ・テンが見た夢華人歌星伝説」(1996年5月10日晶文社発行)

・宇崎真+渡辺也寸志著「テレサ・テンの真実悲劇の歌姫、国境を越えた愛」(1996年1月31日徳間書店発行)

・西田裕司著「追憶のテレサ・テン」(1996年4月10日サンマーク出版発行)

・「何日君再来〜君いつ帰る〜テレサ・テンケ麗君没後一周年追悼展」パンフレット(1996年朝日新聞社発行)

・トーラスレコードのテレサ・テン(ケ麗君)プロフィール、ディスコグラフィー 

・「ケ麗君香港故居」冊子(2000年5月発行) 他


Last updated : 2004.1.12

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